自分の意見を言うという行為が、意図せずして暴力的な行為になることもある。
自分の意見を戦わせたい人もいるけど、そうじゃない人もいる。

どちらの人も、人を傷つける可能性はある。

「聞いてもらいたいだけ」って人もいる。だけど、聞かされた相手とっては、それが辛い言葉な場合だってある。
「戦わせるつもりのなかった意見」が、刃物や鈍器になりうる。

「傷つけるつもりだった」「そんなつもりはなかった、勝手に傷ついてんなよ」という相手ならいいけれど、
「傷つけたくない相手を傷つけてしまった」こんな場合もある。

自分のすべての言葉に責任を持つことは不可能だし、そんなことをする必要もないと思う。

でも、自分の言葉が相手の耳にどう聞こえたのかは気にするべきだし、相手の言葉が全てじゃないこともわかっていないといけない。特に相手が、大切にしたい人ならば。

6日、恋人から別れようと言われた。
「友達のようにしかみれなくなってしまった。」と。

散々別れたくないと言う僕に、
「私は別れにきた。もう考えは変わらない。」
という彼女は、最高に格好良かった。取りつく島もないという感じで僕を切って捨ててくれて、申し訳ないやらありがたいやら。結局、泣いて、笑って、彼女とは恋人同士ではなくなった。
その日のうちに、僕の家にあった彼女の荷物は綺麗さっぱり片付いた。

「君がまだ言うなら、これ以上ひどいことを言わなくちゃならない」と彼女は言った。一月くらい考えてのことだったようなので、彼女も辛かったと思う。

僕の生活は彼女中心に回っていたようで、いままで通り上手に回していくには慣れが必要らしい。食欲がない。

ふられる幾日か前から風邪気味だったが、その日は友人二人に、やけ酒に付き合ってもらった。泣きはらし、当たり前だけど、体調は悪化した。

ひとりでいるとつらいので、その後も寮の追いコンに顔を出したり、友人と温泉に行ったりで、体に優しく出来ていない。

今日はようやく、週の頭からの熱が、下がってきた。
来週もひとに会いたい。今週末で、食欲と喉が回復するのを願っている。

iPhoneからはてダに投稿できるというアプリを発見。
早速つかってみている。

今日は、退職される先生の最終講義をききに大学へ。

いつも通りの調子。彼ならではの雰囲気。
奥さんに支えられてきた人生だったというのが、すごく伝わってきた。良い講義だった。

夕方、駅まで恋人を迎えに。
海外旅行で疲れているところに、気象の関係で交通が乱れ、かなりお疲れの様子。あとでゆっくりと旅の話を聞きたい。僕はまだ、一人旅の経験は無いから。

恋人を家まで送り、夕食を作った。
久々のドライカレーには、ピーマンも入れた。
長く煮込まなくてよくて、ドライカレーは好き。


久々に日記を書いてみた。
思いつくままに書いたけれど、あったことを書くだけじゃあちょっと面白くない。

明日はもうちょい考えよう。
written by iHatenaSync

 意外とそのまま

 高校の3年生になったとき、「自分が1年生だった頃の3年生は、もっとすごかった気がする」というようなことを思った。

 いま大学の4年生になって卒業研究やらなにやらをやってても、同じことを思う。大学院生とか、社会で働く大人とか、先生とか、父親とか、すごいと思える人はたくさんいるけれど、自分がなってしまえば、きっと同じことを思うんじゃないだろうか。

 自分自身が気づかないうちに、成長している面もあると思う。ただそれ以上に、すごいと思った人というのは、意外と別の世界の人ではなかったってことなんだろう。

 先輩たちは思ったよりも僕たちと近くて、先生方もそうで、大人なんてあたりまえだけど子供の延長線上にいるだけだ。

 同じとは思わないけれど、そう考えたらほっとする。肩の力が抜ける。

 ある日を境に、立派になれるわけじゃあないし、きっとみんな、子供のまんま大人になる。

モチベーションの維持が難しい。
休憩、強制力、目標、ご褒美を適切に自分に与えてやることの難しさ。

一時的、短期間的な優れたパフォーマンスでなく、継続的にそこそこ仕事をこなす力が欲しい。

精神的な持久力はないから、ちゃんとそういうとこと付き合っていかなきゃ。


気づくと、いつも同じことを思ってる。この自己管理がこなせれば、また少し伸びるはず。


自分が小物だとは思っていない。